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   愚一記


2010-02-13 (土) [長年日記]

_ [見学] 中山道踏査(大井宿〜大湫宿)

前回の大井宿下見の続きと、この1ヶ月の運動不足解消を兼ねて中山道を大井宿から大湫宿まで歩く。息子を野球のクラブチームのグラウンドまで送った足で、地下鉄&JR中央線で恵那へ。

恵那駅を降りて、駅前の道の2本目を右折すると、そこが中山道。いきなり幼い姉弟から大きな声で「おはようございます」と挨拶される。この弟は大物になるな。市街地を抜けて、しばらく自動車道路を歩くと中山道への分岐点に至る。右へ行くと恵那市の力の入った案内板がある。中央高速道を下から抜けてしばらく行くと「十三峠」の入口に。そう、今日歩くのは13の峠が連続する中山道で屈指の難所なのだ。

石畳の坂が長く続き、これは思ったより大変そうだぞとビビリながら、西行終焉の地の伝説がある西行塚を過ぎてしばらく歩くと、槙ケ根の一里塚に至る。道の両方に大きな塚がある。これまで一里塚は道の片側にしかないと思っていた。この辺は「西行の森」という公園になっていて、桜の季節にはきれいだろう。

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しばらく平坦な尾根道を行くと槙が根立場。街道の途中の休憩所で茶屋が建ち並んで賑わった。ここから名古屋へ直行する下街道が分岐する。姫御殿跡、首なし地蔵を過ぎて急な下りの乱れ坂に。少し行くと四つ谷休憩所。ここまでが2時間。集落内に通る道もカラー舗装がしてあるのは良い。集落をいくつか過ぎて紅坂の一里塚。昨年夏に訪れた信玄の棒道を連想する。

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基本的には山道なのだが車が通れるほど幅があり、きちんと側溝が作られている。いくつもの坂を登っては降りるが、きついなと思い始めると峠が目に入り、うまく作られている。江戸幕府は良いウォーキングロードを残してくれたものだ。15分も歩くと立場跡があり、往事はそこで茶と餅・おこわが楽しめたと思うと、そのインフラが失われたことを残念に思う。期間限定のイベントとかで復活してもらえないだろうか。馬頭観音が各所に祀られていて、馬が主要な交通手段だった時代を偲ばせる。

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歩き出してから5時間弱、下り坂の向こうに大湫宿が見えてくる。山間の静かな集落。脇本陣の建物が今も残り、真新しい山車庫が建つ。宿のはずれの観音堂は見応えがある。ここから釜戸駅へ行く道がすごい下り坂で1時間弱かかる。江戸時代の中山道がどれだけ高いところを通っていたのかを実感。

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2010-02-09 (火) [長年日記]

_ 一段落

少し暖かい。年末年始の卒論狂想曲も大変だったが、その後も試験問題作成・監督・採点・成績付け、センター試験主任監督(リスニング付き)、卒論発表会に新年会のはしご、勤務校の入試監督・採点、校費予算の締め、委員会業務もろもろを、500頁ほどの単著の最終稿づくりと並行してやっていたから、目のまわるような忙しさだった。なんとか単著の原稿も出版社に送り、入試もまだ2回あるが山は越え、ほっと一息ついたところ。

これからは亀山市史の通史編執筆と史料編校正、三重県史の史料翻刻・整理に集中しなければならない。なんてこと言ってると、すぐ新年度。すべて順調に行けば、夏には少し暇になるはずだが...


2010-01-09 (土) [長年日記]

_ [見学] 恵那市大井宿、岩村城

来年度のフィールドワーク候補地下見のため岐阜県恵那市へ。中央高速を使って大学からほぼ1時間。まず大井宿跡。鍵型に折れ曲がっている珍しい宿。中山道ひし屋資料館で話しを聞く。イベント、学習会など様々な活動をしているが、担い手の高齢化は否めないとのこと。古い建物は随所に残るが、町並としての保存のタイミングは逸したような。中心市街地に近いのでやむを得ない面はあるが。

右端灰色部分が本陣、中央下灰色部分が問屋場 本陣跡。 問屋場の反対側。問屋役人の家。 道の右側の家が立ち退いている。

続いて岩村城へ。日本三大山城の一つと言われるだけあって、さすがにすごい。石垣が立派で保存状態が良く、各々の石が小さめなので繊細な感じも。枡形なども小ぶりで、構造が分りやすい。いっさい柵というものがないので*1、写真撮影の際には転落にご注意を。土の山城と違って確実にお陀仏。

岩村城下町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。まだ保存修景などの整備はあまり進んでいないようだが、それがかえって、昭和30年代にタイムスリップしたような不思議な雰囲気を残している。

明智町の日本大正村は行ったことがあるのでスキップし、くしはら温泉ささゆりの湯に寄る。山のてっぺんにある不思議な温泉。露天風呂から夕日が見られる。なかなか温まった。

本丸へ上がるところの石垣 岩村城下の薬屋 岩村城下 ささゆりの湯

*1 作ってほしくないが。


2010-01-04 (月) [長年日記]

_ twitter開始

新年を期して、twitterを始めてみた(ここ)。三日坊主になるかもしれないが。


2010-01-02 (土) [長年日記]

_ 一回り

「あけましておめでとうございます。私はおかげさまで3年間の大殺界が明けました(細木数子を読んでないとわからない)。今年からは、あの3年間は雌伏の時期だったと振り返ることができるようにがんばりたいと思います。」というのは12年前の当日記の最初の記事。ついにこの日記も干支を一回りし、また大殺界明けの年がやってきた。

前回の大殺界は学芸員課程の創設に忙殺され、今回は学部長をやったので、次の大殺界には学長かよという冗談はさておき、12年前に次の大殺界で学部長をするとは想像だにしなかったから、また次の大殺界には、思いも寄らぬ災難が降り掛かるに違いない((((;゜Д゜)))

まあ長い先のことはともかく、今年は何か良いことがあるんじゃないかと期待を持って、疲れた体にむち打って行きたいと思う。

_ [時事] 少子化と子ども手当

未来に何が起こるかはわからないが、一つ確実なのは、私の目の黒いうちは18才人口は回復せず、大学が置かれている厳しい状況は変わらないこと。2009年の出生数は106万人だったそうで、18年後の18才人口は今より15万人ほど少なくなる。「子ども手当」が創設され、ようやく本格的な少子化対策が始まったが、社会通念が変わるにはタイムラグがあり、その効果が表われるのに10年はかかるだろう。大学に効果が及ぶのは30年後か(´_`)=3

年金・保険制度の整備によって、子供は家計にとって負の資産、回収不能な投資に変じた。昔は子供は家の労働力であり、家業の継承者だった。「家業」が次第に少数派になっても、老後には子供に扶養されて看取られるのが普通の時代が続いた。しかし年金・保険制度が整備され、医療も完全看護になると、子供が居なくても老後の不利益はほとんど無くなる。逆に子供を持つことは、Pricelessな満足感は別にして、経済的な負担や生き方の不自由さのみを背負うことになる。

子供が家の財産だった時代が長かったので、結婚し子供があって一人前という社会通念が残っていて出生率が保たれていたのだが、今や社会通念は現実に合わせて変化し、結婚・出産の社会的圧力は遙かに小さくなった。しかし、子供がない方が経済的に有利だからと言って皆がこれを選択すると、有利さの前提である年金・保険制度が崩壊するという合成の誤謬。

子ども手当に対しては、親の私事である子供の養育に、なんで国費が投入されるのかという批判があるが、これは子供を家の財産とみなす古い社会通念の残りかすだと思う。子供を生むかどうかは個々人の選択に任されるが、その選択が可能な社会を維持するためにも、子育てで経済的不利益は負わないような条件を整備して行く必要がある。